福島第二原子力発電所の調査に。
第一原発と第二原発の地震後の事故の違いは、
電源が全て無くなったか、一部は残っていたかだったそうです。
第一原発では、全ての電源が無くなり、真っ暗な制御室、原子炉がどのような状況になっているかも把握できない中での必死の闘いが行われたのだと第二原発の所長さんから伺いました。
電源が一部残った第二原発でも、電源を維持するため、不眠不休で作業が続けられ、人力で重いケーブルを運んだりしたそうですが、大きな事故にならなかったのは、電源が残っていたからだそうです。
しかし余震が続き、水が溜まった中、第二原発も恐怖との闘いであったそうです。
原子炉建屋の中も案内していただきましたが、
通路の足元は網状のところばかり、配管等も所狭しと配置され、通るのも難儀する場所もありました。
所長さんは、今回の事故を経て、これから必要なことを広く伝えていきたいと語ってみえました。
その一つは、現場が技術をもつということ。
クレーンを動かす、配線するなど、外部に委託していた技術を、自分たちで持つことを進めているとのことでした。
愛知県も、外部に委託することが増えていますが、いざという時に自分たちで対応できる技術力をもっておくことが必要でしょう。
電源が全て無くなったか、一部は残っていたかだったそうです。
第一原発では、全ての電源が無くなり、真っ暗な制御室、原子炉がどのような状況になっているかも把握できない中での必死の闘いが行われたのだと第二原発の所長さんから伺いました。
電源が一部残った第二原発でも、電源を維持するため、不眠不休で作業が続けられ、人力で重いケーブルを運んだりしたそうですが、大きな事故にならなかったのは、電源が残っていたからだそうです。
しかし余震が続き、水が溜まった中、第二原発も恐怖との闘いであったそうです。
原子炉建屋の中も案内していただきましたが、
通路の足元は網状のところばかり、配管等も所狭しと配置され、通るのも難儀する場所もありました。
所長さんは、今回の事故を経て、これから必要なことを広く伝えていきたいと語ってみえました。
その一つは、現場が技術をもつということ。
クレーンを動かす、配線するなど、外部に委託していた技術を、自分たちで持つことを進めているとのことでした。
愛知県も、外部に委託することが増えていますが、いざという時に自分たちで対応できる技術力をもっておくことが必要でしょう。