2011年5月7日土曜日

東北ボランティア その3

今日は「AJU自立の家」の後援会総会に出席しました。
「AJU自立の家」では、被災からの緊急の要請を受け、支援隊や障害者介助の専門スタッフの派遣、救援物資と避難所間仕切りセットを送るなどの障害者支援を行っており、その報告が12ページにわたってまとめられていました。
そして、従来の支援の原則が「大量・一斉・公平・画一」であったのを改め、「個別・適時・優先的・多様」が新しい支援の方向であるべきと、今回の体験からの痛切な思いが述べられています。

私が見た被災地は本当に表面でしかありませんが、でも行く前よりは確実に理解の深さは違っています。
報告の続きです。

⑤電気とトイレ
久しぶりにバキュームカーを見ました。
避難所のトイレが限界状態になって、緊急で汲み取りの要請をしたようです。
浜区の避難所は車いす用のトイレも設置してあって、そうした点では配慮がされていました。
写真の右奥の白いテント状のものです。
しかし、名古屋にはどれだけのバキュームカーが今、存在しているのでしょう。
被災した場合のトイレについては、色々と工夫がされつつありますが、広域的に被災した場合にはとても対応できないだろうと感じました。
また、行き帰りのSAでは、「停電時にはトイレは使えません」との張り紙。
今のトイレは手をかざせば水が流れるのはいいけれど…、手では動かない。
手をかざせば水が出る蛇口も、電気がなければ動かないでしょう。
自分で動かす生活に戻すべきですね。
「なぜオール電化が良いのか」という私の疑問に対して、
「電気が一番早く復旧するから」と答えをいただいたことがあります。
しかし1か月半以上経っても電気が復旧しない現状から、やはり一つのものに偏るべきではないと言えるでしょう。

⑥子どもたち
瓦礫作業班から離れ、子どもたちのいる泊崎の避難所のチームに少し参加させてもらいました。
小学生、中学生の子どもたちのメンタルの部分に対応しようと、メディカルチームが出向いたものです。
一緒に遊ぶことを通して…だったので、最近運動していない体にムチ打って一緒にドッチボールやらバレーボールやら。
一緒に動くのに必死、そして、どのように声をかけるものか悩む中で、あまり子どもたちの声を聴くことはできませんでした。
しかし、他のボランティアグループの方が写真を撮らせてとカメラを向けると、全員が逃げていった様子、かなり乱暴な言葉遣い、低空飛行のヘリコプターを見て「人を探しているんだ」と遠い目をした男子中学生。
こうした姿から子どもたちの心が垣間見られます。
これからの生活の目途、落ち着いた居場所、明日への安心がもてることが一番の「こころのケア」だと感じました。

宮城県からは、文科省を通して愛知県にも教員派遣の要請が来ているようです。
大変な取り組みですが、子どもたちのため、出向かれる教員の方々のご活躍をお祈りいたします。