2011年5月11日水曜日

東北ボランティア その5

パソコンの調子が悪く、ボランティア報告の間が少し空きました。

浜岡原発が停止することになりました。
こうしてブログを書くのも電気を使っている訳ですが、
いよいよ中部圏の私たちも生活を見直していくことになります。

先日読んだ雑誌にニジェールのウラン鉱山のことが載っていました。
電力の大半を原子力に依存しているフランス。
フランスの電気自動車の普及も豊富な電力によるのでしょう。
でも私は、その放射線燃料がどこから調達されているかまで、実は考えたことがありませんでした。
フランスは世界最貧国の一つであるニジェールで放射線燃料を調達しており、
ウラン採掘の現場は、実は健康被害がある大変な状況ではないかと懸念されています。
実態は明らかにされていないようですが、エネルギー供給の大もとについては意識がなかった自分に気づきました。

さてようやく報告の続きです。

⑧南三陸町
記録が時間をさかのぼる形になっています。
東北の被災地で最初に行ったのは、南三陸町でした。
海沿いの4階建ての建築物が、4階の窓までガラスが破れ、いろいろな物がぶら下がっているのを、自分の目で最初に見たとき、
本当にあの高さまで水が増えたのだと、驚くよりほかありませんでした。
船が玄関の屋根の上に上がってしまっている志津川病院。
遠藤さんという女性が最期まで避難を呼びかけ続けた防災対策庁舎。
多くの方が波にのまれたことを思うと、その跡かたの無残さと相まって・・・。
バスでお隣になった岩田さんがスマートフォンで撮った映像があります。
紹介させていただきます。
http://www.youtube.com/user/kaoring1118?feature=mhum

⑨「津波浸水想定区域」
しばしばこの「津波浸水想定区域」という看板を見ました。
まだ建っているものもあれば、倒れているものもありました。津波の水の量を私は数字では表せませんが、入り江とそのそばの家があたりを見ながら、ここが全て水で埋まったのかと思うと、凄い水の量です。
今回は想定量を覆しましたが、津波を想定していたことがいざという時の逃げ道の確保につながったようです。
どこまで「想定」し、どこまで、何によってどのような対応をするのかについては、大きく議論をしていかなければなりません。



これで、報告はひとまずの区切りにしたいと思います。
ボランティアの行く時に東北自動車道から見た景色では、まだ田んぼに水は張られていませんでしたが、帰るときには、田んぼに水が入り、いよいよ田植えとなっていく風景でした。
季節の移り変わりを感じました。
最後に、小泉浜の作業の前に見た横にまっすぐの虹の写真を載せたいと思います。
被災地の方々が、明日に希望がもてるよう、私も私にできることで頑張っていきたいと思います。