今朝の8時半、東別院に到着しました。
途中の休憩と渋滞の時間がありますが、東北から約15時間かかりました。
普通の観光バスでの車中2泊はキツイものがありましたが、さすがに帰りはかなり寝ることができました。
そして家に着いてまずホッとしましたが、こうしてホッとできるのも自宅があるおかげです。
避難所にいる方々は、ずっと集団生活です。
私たちが行った気仙沼市浜区はまだ電気も水道も復旧していない状態。
1か月半も不便な生活が続いていました。
さて報告をいくつかに分けて載せさせていただこうと思います。しかも何日かに分けての報告になりそうです。
①愛知ボラセンのメンバーについて
代表の東海中・高校の久田先生が、阪神大震災の時から私学の生徒たちによるボランティア活動を続けてみえたのが、今回のボランティアにもつながっているそうです。
参加メンバーは約500人の中から選ばれた45人で、中学生から70代の方まで、年齢層も職種もさまざまでした。
メディカルチームと、リラクゼーションチームは構成できるよう人選がされていました。
他は、造園業の方や電気関係の方、留学生、大学関係者などなど、これまでのボランティア経験や特技、久田先生の嗅覚が働いた人選だったようです。
参加者の方に私の職をあまりお伝えしていませんが、たぶん私は議員特権…?
今回の経験を今後に生かすためですね。
②避難所について
避難所の中については、一緒に行ったグループの中でも、リラクゼーションチームの方などは入ることができましたが、私たち作業班は勝手に入ることはできず、タイミング悪く許可を得ることもできませんでした。
話でしか中の様子を伺い知ることができませんでしたが、せまい所なので仕切りを設けて個人スペースを作ることもできず、隣り合って布団を敷いて生活をしているという、かなり窮屈な状態のようです。
リラクゼーションチームの方からは、疲れで体がすごく硬くなっているという報告。
運営についても、避難所ごとで様々な違いがあるようです。
運営などについては、今後調査をさせていただきたいと思っています。
③地域の方と
少しだけ地域の方とお話する機会がありました。
高台にあるにもかかわらずご自宅1階の半分くらいまで水が来た女性の方は、津波が来る様子を「大きな黒い壁が押し寄せてきた」と語ってくださいました。
その「黒い壁」は「船を上に載せて」。そして「ビシビシという音がした」「渦を巻いて水が引いていった」「翌日の娘の中学校の卒業式が気になって…」など、津波が来た時の状況です。
車で出かけていた先で、御主人から津波がくるという電話があって山の方の道に回ったから命が助かったともお話してくださいました。
海沿いの道は渋滞で車が進まなかったとのこと。
その道にいて犠牲になられた方も多かったのではないでしょうか。
車に乗っていた方には、十分には津波の情報が届いていなかったのかもしれません。
車の方を含め、情報の伝え方も大きな課題だと改めて感じました。
では今日はここまでで。
今後また作業や町の様子などをご報告します。